日本人には日本人に合う食事を

 

学校法人服部学園服部栄養専門学校

理事長・校長  服部 幸應

 

学校法人服部学園服部栄養専門学校の理事長・校長である服部幸應氏は食育基本法の制定に関わったが、他にも和食のユネスコ無形文化遺産登録に尽力した。明治以降の日本の食や日本人と和食の相性について聞いた。

 

――和食のユネスコ無形文化遺産登録に尽力されていましたが、そのきっかけや経緯などを教えてください。

 

 2010年にフランス料理がユネスコ無形文化遺産に登録されましたので、日本も登録されるといいなと考えました。農林水産省が主催した「日本食文化の世界遺産登録に向けた検討会」に委員として参加し、何回も会議を繰り返しました。

 

登録には「味ではなく環境、つまり和食がどのように世の中で習慣となっているのか」という点が大事なのではないかといった意見が出ました。

そこで、日本の和食にはずっと昔から伝統的な食文化の習慣として5節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)と季節があるということをユネスコに申請したのです。

その結果、2013年12月4日に登録が決まりました。

 

――伝統的な和食や明治以降の食についての考えをお聞かせください。

 

 明治政府に招かれたお雇い外国人でドイツの医師、ベルツという人物がいます。日本人の体は西洋人に比べ小さかったため、西洋人のような体格にしたいと考えた政府の招きで来日し、29年間滞在しました。東京医学校(現東京大学医学部)の教師と明治天皇の主治医を勤め日本の医学の発展に寄与した人物です。

 

 あるとき、ベルツが東京から110キロ離れた日光に旅行することがあり、馬を6回乗り換え14時間かけて到着しました。

後日、再度日光に行く機会があり、そのときは人力車を使いました。すると馬より30分多く時間がかかっただけで、14時間30分で到着してしまいました。

 

しかもたった一人の車夫が交替せずに引き続けていたということにベルツは驚き、「何を食べているのか」と質問すると、日本の昔からの食事である玄米、豆、野菜、たまに魚という炭水化物が中心の食事でした。

 

ベルツは車夫に毎日、肉や生野菜、牛乳、バターというドイツの食事を提供してみましたが、数日後、車夫は「疲労がたまって走れない、元の食事に戻してくれ」と訴えてきました。そこで元の食事に戻したところ、以前のように走れるようになったという記録があります。

 

 そのため「日本人には日本の食事が一番適している」と政府に報告したのですが、納得してもらえませんでした。その後、政府はドイツ人の栄養学者フォイトに依頼し、彼はタンパク質や脂肪の多いドイツの栄養学から考えた食事を摂取するよう政府に進言しました。

当初はこのような食事は高価だったため一部の官僚などしか食べられませんでしたが、その後次第に一般の国民にも広がり、従来の日本の食事が変化してきました。

 

 現在、日本では食物繊維の摂取量が不足し、大腸がんが増えています。私が子どもの頃、野菜はサラダで食べず、火を通した調理の煮物やお浸し、漬け物で食べていたため多くの野菜を摂取できました。

食物繊維は穀物や野菜に多く含まれていますが、日本人は摂取量がたりません。米の消費量も著しく減っています。

 

 今の若い世代は洋食が多いですが、和食のほうが食物繊維の多い野菜や穀物などを多く食べられることを知って欲しいです。

そもそも、明治に取り入れたドイツ式の食事では、ドイツは北緯50度に位置する寒い地方ですが、日本は北緯43度(北海道)から北緯20度(沖縄)に位置し、(東京は北緯35度)寒い地方から温かい地方まであり、ドイツとは全く気候が違う。ドイツの食事をまねしては心筋梗塞やがんなどの生活習慣病が増えてしまう。

 

日本人には日本人にあった食事の見直しが必要です。

 

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

 

 日本の食品ロスの量は年間631万トンです。一人あたりの食品ロス量は年間51キロにもなります。物を余らせる、捨てるということに対する認識を持って、もったいないという意識を持って欲しい。例えば、パーティで食材が余ったら、包んで持ち帰る。外国ではドギーバックと言い余った物をいれて持ち帰り、早く消費します。

 また海をきれいにしていくために、川のまわりに針葉樹ではなく落葉樹を植えて欲しい。落葉樹が川に落葉するときに微生物も一緒に落ちます。そうするとそれをプランクトンが食べ、さらにそれを魚が食べ、海に出て、海が豊かになります。食は全てが繋がっています。

 日本が意識して行動できる国になって欲しいと願っています。(了)

 

 ※Grasp(国土交通省 発信マガジン)より